お金は信用ではない

ムラモトヒロキです。

西野 亮廣さんの書籍、「革命のファンファーレ 現代のお金と広告」を読んでいます。
とても面白いですね。
これから読み進めようと思います。
ただ、1つ氣になったことがあったので一言物申します。笑

キングコングの西野さんと言えば、ツッコミを担当する芸人さんだけでなく
絵本作家としても有名になられました。
「えんとつ町のプペル」という絵本で30万部を超える大ヒットを実現されてます。
実はこの絵本、クラウドファンディングというインターネットを通して
クリエイターや起業家が不特定多数の人から資金を募る方法で製作されました。
このクラウドファンディングで、当時西野さんは国内歴代最高となる
総額1億円を個人で調達しました。
スゴイですね。
その経験などを踏まえて書かれた本が「革命のファンファーレ」です。

で、僕が何について一言物申したいかと言うとそれは「お金が信用である」という
定義についてです。
西野さんは書籍の中で、何度となくこの主張をされています。
確かによく聞く定義ですしね。
ですが、僕はこの定義に異論を唱えます。
というのも、僕は「お金は信用」とは思ってないからです。
厳密に言うと、お金は信用「だけではない」というのが僕の主張ですが。

ただ、実は西野さんも書籍の中でこの定義を言ってしまっています。笑
要するに自己矛盾が発生しているんですね。
それは本の冒頭でお金の定義を語る部分。
本の一部を抜粋しますね。

テレビタレントのギャラの出元はスポンサーだ。
スポンサーが広告費(番組制作費)を出し、その一部がタレントのギャラとなっている。
お金の出所がスポンサーなので、当然、タレントに求められるのは好感度だ。

この部分です。
西野さんは本で「お金は信用だ!」と再三おっしゃっているのですが、
この部分でお金が好感度と交換できると言ってしまっています。
つまり、スポンサーはタレントの好感度とお金を交換してるってことですよね。
それがギャラであると。
よって、「お金は好意である」という定義が成り立ちませんか?

だから僕の主張はこうです。
お金とは、「好意」「信用」「信頼」「信仰」の代わりです。
信用だけではないんですね。
なぜなら、タレントの好感度と同じように、別に信用なんてなくても
お金は手に入るからです。
うさんくさいテレビショッピングで大した効果もない商品が売れるのは、その証拠です。
そこにあるのは信用ではなく、「良さそう」という期待感であり、それは「好意」ですよね?

「信用」については西野さんの言うとおりです。
信用があれば、信用の高さに応じてお金と交換できます。
その交換装置としてクラウドファンディングは、抜群に相性が良いのだと思います。

「信頼」については信用と信頼の定義の違いだけです。
信用は信じて用いる。
つまり、責任がお金を払う側にあります。
対して信頼は信じて頼る。
つまり、責任がお金をもらう側にあります。
要するに、責任も含めて「丸投げ」OKなら「信頼」になるということですね。
そうやって、「お蔭様」を確信しているのでお金を払います。

また、寄付であったりお布施のようなものは「信仰」を体現しているものです。
「弱きを助ける」ことが「正義」だという信仰によって、お金が移動しているんですね。
ホームレスの人にお金を恵むのは、「好意」や「信用」や「信頼」があるからではありませんよね?
その人にある宗教観念や道徳心、教育によってもたらされた何らかの「信仰」を表すためにお金が使われます。

ちなみに、「兵器」に支払われるお金もまた「信仰」だと考えています。
「戦争」をすることが「正義」であるという「信仰」がお金に代わっているのだと思うんです。
非常に悲しいことではありますが・・・。

こんな感じで、お金はただ1つの定義だけで説明がつくものではないと思います。
あなたはどう思われましたか?

眞心マーケティングと眞心イノベーションを心がけていきましょう。

P.S.
西野さんにツッコミはしたものの、本はとてもおもしろいと思います。
やり方の好き嫌いはあるかもしれませんが、僕は西野さんに眞心を感じていますよ。
いつだって世界を変えていくのは、「狂人」達ですからね。笑

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